ALSOK 将棋コラム
第72期ALSOK杯王将戦振り返り
-前編-
第72期ALSOK杯王将戦は棋士デビュー以来破竹の勢いで勝ち続け、当時五冠、”タイトル戦無敗”の藤井聡太王将に、前人未到のタイトル獲得100期を目指す”永世七冠”羽生善治九段が挑むという世紀の七番勝負になりました。
最終的に藤井王将が4勝2敗でタイトル防衛を果たし、タイトル戦無敗を継続する形になりました。
組み合わせの歴史的価値だけでなく内容の面でも大いに盛り上がった第72期ALSOK杯王将戦七番勝負について、簡単に振り返ってみたいと思います。
戦型選択について
藤井王将が先手の場合は角換わりが濃厚です。後手の変則的な作戦にも正面から立ち向かいます。
後手の場合も2手目8四歩から相手の作戦を正面から受け止める超本格派です。深い研究に加え、高精度な読みで相手を圧倒します。
羽生九段は居飛車を基本としつつ、幅広い作戦を選択します。第72期ALSOK杯王将戦挑戦者決定リーグでは、先手で角換わり2局、相掛かり1局で2勝1千日手。後手で角換わり2局、横歩取り2局で4勝0敗でした。先手では角換わり、相掛かりを併用していること、後手では横歩取りの採用が目を引きます。
王将戦七番勝負において、羽生九段の戦型選択がまずは注目ポイントになっています。
第一局
- 振り駒の結果、藤井王将が先手に。注目の戦型は一手損角換わりとなりました。羽生九段の一手損角換わりは予想外ではありますが、時折選択される印象で、2022年に一局、少し遡りますが2019年に連続採用しており、好成績を残しています。
- 図1 7五歩まで
- 相早繰り銀に進み互いに3五歩、7五歩とぶつけ合う形に。羽生九段が連続採用していた時期は、早繰り銀に腰掛け銀で対応しており、新たな作戦を披露する形となりました。前例に第72期ALSOK杯王将戦挑戦者決定リーグの糸谷八段-服部五段戦(服部五段先手、糸谷八段勝ち)があり、そのときの展開から羽生九段が戦えると判断し、採用したと思われます。藤井王将も時間を大きく消費することなく開戦まで進めており、お互いの事前準備の深さを感じさせられる展開となりました。
- 図2 5八同金まで
- 右辺で小競り合いが繰り広げられた局面。先手からは4三銀、同金、2三飛成の筋があり、後手としては悩ましい局面です。受けるなら4三角(または5四角)が見えます。4三銀を受けつつ7六歩の取り込みを見せた攻防手です。攻めるなら4九銀がこの形では頻出する筋で、4八金には1五角、2八飛、4八角成、同飛、5八金から飛車を取って攻める狙いです。乱暴な攻めに見えますが、先手も攻めを切らす事は難しく、2六飛、5八金の形に対して考えたい筋の一つです。
羽生九段の選択は3七歩でした。4三銀を受けない上に先手玉への影響も分かりにくい複雑な手で、羽生九段らしい手渡しでした。同桂には1五角、3六飛、2七銀があり、放置すると3八歩成から迫られるので勢い4三銀ですが、そこで3五銀と反撃して難解な攻防が続きます。 - 図3 7四歩まで
- 攻め合いから一旦羽生九段が7四歩と受けた局面。先手の狙いであった7四桂を消されると後手玉への迫り方が難しく、3三歩成から迫るのが自然に見えます。
藤井王将は6五歩、7三銀、6四歩と指しました。同銀とされて6六歩が消えただけの不思議な手順です。しかし、空いた6六へ桂を設置し、7三銀、7七桂と進むと急に先手の駒に躍動感が出てきました。
藤井王将は棋士デビューした頃に角換わりの4五桂速攻で勝っていたイメージからか、桂使いが上手い印象があります。本局も巧みな桂使いで戦局を手繰り寄せました。実戦は以下7七桂が6五桂~5三桂成と後手玉へ迫る活躍を見せます。 - 図4 8六銀まで(投了図)
- 8六銀まで藤井王将の勝ちとなりました。お互い持ち味が出た一局でしたが、藤井王将の桂使いが上回る格好となりました。
第二局
- 藤井王将の先勝で迎えた第二局、羽生九段の先手で相掛かりに進みました。相掛かりは作戦の分岐が広く、羽生九段がどの形を採用するのか注目となります。
- 図5 1六歩まで
- 1六歩では9六歩が多い印象で、羽生九段が作戦を用意していることが伺えます。9六歩は藤井王将が一時期連続採用し、高い勝率を挙げていました。1六歩の実戦例は多くありませんが、渡辺九段がタイトル戦で採用した実績もあり、有力な手であることは間違いありません。
- 図6 7四歩まで
- 先手は「歩越し飛車」と呼ばれる悪形になっており、このまま局面が落ち着くと後手が良くなります。そこで局面を動かすべく指した1七角が凄い手。同角成に同桂と桂馬がソッポに行きますが、最終的に2五桂と活用できる見通しがあるため構わないという判断です。ここまでの実戦例に豊島九段-斎藤(慎)八段戦(豊島九段勝ち)があり、羽生九段がその対局をベースに改良を加えて藤井王将にぶつける格好となりました。
- 図7 3三角まで
- 羽生九段の端攻めに対して藤井王将が受ける展開に進みました。後手は角を打たされていますが、先手も攻めの継続が難しい局面です。ここで羽生九段は2五飛、1三桂(1五香の防ぎ)、8五飛と飛車交換の大決戦へと進めました。双方飛車の打ち込みには強そうな陣形で、形勢は難しいです。先手は歩切れ、後手は陣形の乱れが懸念材料になっています。
- 図8 3一同玉まで
- 羽生九段が攻め、藤井王将が受ける展開。羽生九段は金を剝がしていますが、相変わらず飛車を打ち込む隙がなく、攻めの継続は難しそうに思えます。しかし、ここで放った8二金が好手でした。非効率に見えますが、9九角成には7二金~5二飛を用意しています。他の手に対しては8一金~7三桂や、9一金など複数の攻めを用意した味わい深い一手でした。藤井王将は4二玉を選択しましたが、2一飛から攻めがつながる形となりました。
- 図9 7七同馬まで
- 藤井王将の反撃により、先手陣も危険な状態になっています。7七馬はタダですが、取ると5七金以下詰み。一方、後手玉も安全ではなく、ここを先手が凌げるかが勝負の分かれ目になりそうです。羽生九段は5七銀打と補強し、7八飛に4六歩、同角と角を呼び込んでから6九銀と受けました。流石の好判断で、先手の優勢がはっきりしたようです。特に4六歩は歩切れの先手としては怖い一手であり、羽生九段の読みの深さが伺えます。
- 図10 6九銀まで
- 藤井王将は受けてもじり貧と見て、5七角成から最後の勝負に出ました。対する羽生九段の応手は正確無比。的確に応じ、徐々に先手玉の不詰がはっきりしました。
- 図11 4八香まで(投了図)
- 香の合駒を見て藤井王将の投了、羽生九段の勝ちとなりました。最後の合駒は香以外に桂も有力に見えますが、2七銀打、3九玉、4八香成、同金、4七桂以下先手玉は詰んでしまいます。ここまでくれば香合で詰まないのは棋士なら一目と思われますが、他の膨大な変化も掘り下げたうえで本譜の展開を選択し、勝ち切った羽生九段が見事でした。
第三局
- 藤井王将が先手で迎える第三局。羽生九段が用意した作戦は、4手目4四歩型の雁木でした。雁木は幅広い戦法を指しこなす羽生九段でも意外な作戦です。ここ数年で採用実績がないことに加え、2021年の著作である「現代調の将棋の研究」でも取り上げていない戦型でした。この大舞台で雁木を採用するには何か理由があるはずで、実戦の進行が気になります。
- 図12 3五歩まで
- 藤井王将は早繰り銀を選択し、3五歩で戦端が開かれました。雁木に対する作戦は複数ありますが、早繰り銀は最も積極的な作戦で、突き詰めて考える藤井王将らしい選択だと思います。対する羽生九段は5三銀と上がり、上部を補強します。端歩の突き合いを除けば本局の3週間前に指された豊島九段-大橋六段(当時)戦(大橋六段勝ち)と同一です。豊島九段-大橋六段(当時)戦では先手が9五角としたので、端歩の交換を入れて9五角を消したのが羽生九段の新たな工夫でした。第一局、第二局と同様に、羽生九段が過去の実戦から新たな工夫を施して、藤井王将にぶつける展開になりました。
- 図13 3四同銀まで
- 数手進んだ局面。先手は「戦いの起こる場所に飛車を振れ」の格言通り、3八飛から攻めを繋げるのが自然です。以下4三金右、1六歩と進んでどうか。藤井王将は2六飛を選択。3七桂~3六飛まで指せれば先手良しですが、この瞬間後手に手番を渡してしまうのが怖いところ。本譜も4五歩から戦いが始まりました。藤井王将は直感的に指し辛い指し手についても深く掘り下げる力が非常に優れていると感じていますが、本譜はその持ち味が存分に発揮される展開となります。
- 図14 4七同金まで
- 局面が一段落したところ。前の図と比べると、後手の陣形は崩れていないのに対し、先手は守りの金が離れ、桂が跳ねたことで守りが大幅に弱体化したように思えます。しかし、先手は6五桂の攻めが残っており、後手がそれを防いで6四歩と突くとバランスのとり方が非常に難しくなり、具体的には、4三金右と厚みを築く手に対して6三角が生じてしまいます。形勢は難しいですが、羽生九段としては気を遣う展開になりました。
- 図15 3三玉まで
- 羽生九段は6三への打ち込みを許す代わりに厚みを築くことで、局面のバランスを保つ作戦に出ました。金銀が集結し、上部も2枚の歩が拠点となっており、大きな厚みを構築しました。この陣形を崩すのは容易ではないように思えますが、藤井王将の組み立てが巧妙でした。まずは6三馬と銀取りで揺さぶります。4三金でむしろ厚みを築かせているように見えますが、そこで4一馬と潜りこむと、3一馬~2一馬の桂取りが非常に受けにくくなっています。
厚みを崩す手を考えたくなるところ、敢えて背後を取る攻めはセオリーとは逆で思いつきにくいものですが、流石藤井王将と感じる手順でリードを奪いました。 - 図16 4四玉まで
- 羽生九段は桂を取られては苦しいので、4四玉と玉を上部に進出させ、同時に桂馬が跳ねるスペースを確保しました。そこで藤井王将の放った3七歩が好手。同歩成に4五歩が決め手で、同玉や同金は3七桂が先手になります。この歩が取れないのは非常に辛く、藤井王将が優勢になりました。
- 図17 4三金まで(投了図)
- 羽生九段も最善を尽くしますが、藤井王将は自玉の安全度を的確に見切りながら果敢に踏み込み、2勝目を挙げました。難しい局面が長く続く中、藤井王将の先入観に囚われない読みの深さが見事な一局でした。
第一局~第三局のまとめ
第一局から第三局は、いずれも羽生九段が最近の実戦例をベースに新しい工夫を藤井王将にぶつける展開となりました。その中で、藤井王将の読みに基づく、形に囚われない正確な指し回しと、羽生九段の攻守自在な指し回しがみられ、互いに持ち味を発揮する展開となりました。長くなってしまいましたので一旦区切りとし、次回コラムで第四局以降も振り返りたいと思います。