鍛冶職人の技が光る
和錠
古く大陸から伝えられ、日本独自の形に発展した「和錠」。
蔵を守るため、江戸時代に盛んに作られました。
Photo:Shoji Naoto Text:Ena Sato Illustration:Naomi Masuda
上:錠、下:鍵。
2つの鍵山のあいだが底へ向けて狭くなっており、板バネをしっかりはさむことができる。
泰平な時代だからこそ和錠は進化した?
日本に現存するもっとも古い和錠は飛鳥時代のものといわれ、奈良・正倉院の蔵にも和錠がかけられています。
工夫を凝らした和錠が多く作られるようになったのは江戸時代に入ってから。戦乱のない世が長く続いたため、富を蓄えた武家や商人たちが次々と蔵を建て和錠の需要が高まったこと。さらに、注文の減った刀鍛冶職人が、副業として和錠作りを始めたことが大きく影響したようです。
鍵を回すとひっかかっていた板バネが外れて開錠する
錠の外側を外して鍵を板バネにあててみると仕組みがわかる。
施錠時
板バネが広がっている。
開錠時
鍵を回すと板バネが押さえられて狭まる。
職人の技が光る板バネの仕掛け
和錠は「板バネ」を利用して開閉します。「鍵」によって板バネを挟むことで「弦つる
」(閂かんぬきともいう)が抜け、開錠するのです。板バネの数は少なくて2本、多いものでは6本。数が増えるほど複雑になり、破られにくい錠前といえます。とくに刃物の産地では、優れた和錠が生まれました。
土佐錠(高知)、阿波錠(徳島)、因幡錠(鳥取)、安芸錠(広島)などが有名です。
鍵の仕組みが必要以上に複雑だったり、鍵穴ひとつにも装飾が施されていたり……と、職人が腕を競いあい、多くの名錠が生まれました。「二つとして同じものがない」。これが和錠の魅力でもあります。
当時、和錠は蔵の豪華さを示す、いわば富の象徴でもありました。しかし、大量生産に向かない和錠は現在では生産されていません。
古い蔵を見かけたら、扉に注目してみるとおもしろいかもしれませんね。
取材協力
金庫と鍵の博物館館長 杉山泰史[すぎやま・やすし]
金庫と鍵の博物館
東京都墨田区千歳3-4-1 03-3633-9151