Always Essay 思いがけず・・・ 1.鼻歌

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Always Essay

1 鼻歌

「ふんふ~ん♪ふふ~ん」仕事帰りの満員電車で、小さく鼻歌が聞こえてきた。声は男性っぽいが、姿は見えない。しばらくすると突然、はっきり「うるせえな」と別の男性の声がした。一瞬にしてピリッとする空間。鼻歌が止み、「いいだろう鼻歌くらい」という返事が聞こえる。「いや迷惑だろ、こんな満員電車でよ」おわー、ケンカだよケンカ。乗客のみんなとともに、顔には出さずドキドキしていると、鼻歌男が「毎日一生懸命仕事だけして、帰るのも満員電車で余計疲れて。鼻歌くらい良いじゃないか。そんな自由もないのか」と言った。急な心情の吐露。でも、うるせえな男は「ダメに決まってんだろ、迷惑だ」と容赦ない。30代か40代の人かな…チラッと声の方を見ると、ぎゅうぎゅうだったのに、彼らの周りだけ丸い広場みたいに空いている。海なら渡れるな。とか思っているうちに、売り言葉&買い言葉で両者は白熱していき、「うるせえ音痴!」「なんだとこのクソ野郎!」などと真剣な罵り合いになってしまった。

と、そこにアナウンスが。「次は〇〇~、〇〇駅~」。すると片方が「俺は次で降りる。悪かったな、つっかかって。でも、こういうケンカもお前とのコミュニケーションだったと思ってる。ありがとう」と言い出した。「え!?」車両に衝撃が走る。全力で耳を疑っていると、「俺も悪かった。うるさかったよな」と聞こえてきた。「えええ!?」周囲の戸惑いもお構いなしに、「誰ともしゃべらないのが普通の毎日で、応えてくれて嬉しかった」「こっちこそありがとう」と感動のフィナーレを迎えているではないか。そして、うるせえな男は降りていった。ほころびはまた閉じられて日常に戻った。

その後トニーと出会い、この話をしてみた。「急にケンカはコミュニケーションだって言い出して・・・」と言うと「わかる!」。「日本に来た最初の頃は友達もいなくて、ケンカだって誰かと話す接点だったんだよ」。 何年か越しの、思いがけずの三重奏。自分の経験や感覚だけでは測れない世界があるんだなあと実感したのだった。

おぐり・さおり

岐阜県出身の漫画家。
著書に「ダーリンは外国人」「フランスで大の字」など。
近著「ダーリンの東京散歩 歩く世界」「手に持って、行こう ダーリンの手仕事にっぽん」。
2012~2019年までドイツ・ベルリンに居住。

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