守る人 vol.2

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ALSOK Special Interview 守る人 vol.2

「雷」から人々や社会を守る人

Photos:Kentaro Oshio

音羽電機工業株式会社
代表取締役社長

吉田 厚さん

1946年の創業以来、「雷」の対策専門メーカーとして事業を展開してきた「音羽電機工業株式会社」。今回は2024年4月に代表取締役社長に就任した吉田厚さんに、今、守っていきたいことを伺いました。

雷の奥深き世界に挑みつつ共存する社会を目指す

「地震、雷、火事、親父」。
恐ろしいとされているものを並べた言葉の中で、特に夏に恐れられるのは「雷」の存在だろう。今夏も連日のように日本各地で雷雲が発生し、大雨による被害をもたらした。 強大な自然エネルギー、雷。その存在に、とことん向き合ってきた企業がある。兵庫県尼崎市に本社を置く、「音羽電機工業株式会社」だ。日本で唯一の雷対策の専門メーカーとして、「避雷器」を中心に各種雷対策製品の開発・製造・販売を行っている。
「避雷針は雷から建物の外観を守るためのもので、電気設備の保護はできません。避雷器は、様々な所から回り込む雷サージと呼ばれる異常な電気を大地に逃がして電気製品を守る働きをします」と、物腰柔らかに説明してくれる吉田厚さん。2024年に、音羽電機工業株式会社の代表取締役社長に就任した。創業者の祖父から数えて、四代目にあたる。

「絶えることなく社会を守りたい」

近年、温暖化などの異常気象により、雷が発生する日数は増加傾向にある。雷による被害額は年間2000億円にのぼるといい、ネットワーク化が進む現代社会への影響は、はかりしれない。そんな雷の被害から人々や社会を守るために、音羽電機工業は日夜努力を重ねている。
「雷には地域性があって、設備や建築物によっても対策の仕方が変わってくるんです」
創業以来、78年にわたって雷一筋に取り組んできたノウハウを活かし、免雷に関する設計のコンサルティングも手がける。これまでに築き上げた経験と信頼の厚さが窺える。 「雷には未知の部分があって、奥深い世界。日々進歩していく技術にも追いついていかなければなりません。チャレンジしがいのある仕事です。やれることは、まだまだたくさんある」と、力を込めて語る。

雷がつないだ「ご縁」も大切に守っていきたい

厚さんは、家族から会社を継ぐようにといわれた記憶はない。「自分の道は自分で切り拓くように」といわれた言葉通り、元々は商社で医療機器を販売していた。縁もありグループ会社に関わるようになったのは、20年程前のことだった。
文系出身で、当初は電気の「で」の字も分からなかった。周囲の助けを借りながら、一から勉強した。
「祖父が創業し、叔父、父の代で成長・拡大させてきた会社です。その基本を大切にしながら、時代に合わせた新たな装飾を施して、次の舞台をつくっていきたいですね」
今後は、避雷器の心臓部であるセラミックの「酸化亜鉛素子」の活用をさらに極め、雷対策機器と同時に、新たなデバイスを事業の柱にしていくつもりだ。
その活躍の場は国内に留まらない。アフリカや東南アジア諸国との縁も拡がっている。 「アフリカのルワンダから、たまたまインターンシップ生が訪れてくれて、そのご縁から繋がりが生まれました」
厚さん自身も、インターンシップ生の結婚式に参列するためにルワンダを訪れたという。いただいたご縁を大切にする・・・。その精神は、「創業者である祖父の亀太郎ゆずりかもしれない」と、厚さんは笑う。
「祖父、父の時代に雷がつないでくれたご縁を大切にしつつ、新たなご縁をつくっていきたいですね」
現在、音羽電機工業の雷対策の技術は、新幹線や空港などの交通網、メガソーラー、インフラ設備、データセンター、国の重要文化財など、幅広い分野の安全を全国で支えている。
「わが社の技術が選ばれて、日本の全国の様々な場所に導入され、実際に社会のお役に立てていることが、いちばんうれしいです」
古代から清水寺に流れ続ける「音羽の滝」のように、絶えることなく社会を守りたいという信念が、厚さんの目の奥に輝いていた。

令和4年度近畿地方発明表彰で「中小企業庁長官賞」を
受賞した「劣化表示付きLAN用避雷器」の展示。

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