東日本大震災の発生から約1年半余が経過しました。当社グループは、被災地の復興を願い、震災直後から、さまざまな支援活動を行ってきましたが、今もなお厳しい状況のもとにおかれている方々がおられます。当社グループは、本業を通じて、復興に向けた地域の課題に向き合い、長期的な視点で、継続的な支援を行っていきたいと考えています。
防護服を着用し、現金回収業務を行った福島綜合警備保障株式会社の社員たち 福島県は原発事故の影響で、国が原発から半径20km圏内からの避難命令を発動したことなどを受け、多くの避難民やさまざまな問題を今もなお抱えています。福島綜合警備保障株式会社もまた、大きな打撃を受けましたが、県内全域を守る警備会社として地域の安全対策に乗り出しています。
具体的には2011年8月から、避難区域の会社事務所やご契約先のパトロールを継続的に行っています。同区域にあたる飯舘村では、130世帯に自治体の制度としてホームセキュリティを導入していただき、異常が発生した場合には直ちに同社機械警備隊員が駆けつけ、避難されている方々に安心という無形のサービスを提供しています。
また、無人となった避難区域内に設置されたATMの現金を早期に回収するために、放射線量測定器で放射線レベルを測定しながら慎重に回収作業にあたりました。
このほか同社では、風評被害に苦しむ農家の一助となるよう、全国の当社グループ社員に県内の農作物の購入を呼び掛けています。この活動は2012年7月までに5回にわたり行っており、今後も購入の推奨を続けていきます。
加えて、原発事故で避難を余儀なくされた13市町村に独自で義援金を贈りました。また、福島市の高齢者福祉施設には福祉車両を贈呈するなど、同社を育んでくれた地域の皆様が一日も早く以前のような生活に戻られることを願い、警備会社としてできることを一つひとつ確実に実行しています。
当社は、株式会社エヌ・ティ・ティ・ドコモ、富士通株式会社、株式会社富士通エフサス、ALSOK岩手株式会社、福島綜合警備保障株式会社と共同で、仙台市が行う「仙台市ひとり暮らし高齢者等生活支援システム運営事業」に参加しました。
この事業は、現在、宮城県仙台市内の応急仮設住宅に住んでいる、65歳以上のひとり暮らしの方や、重度の要介護者と同居している65歳以上の方などに通信機器を貸し出し、「見守り(安否確認) サービス」「緊急通報サービス」「日常会話コールセンターサービス」などを提供するものです。
同事業のサービスは、火災やガス漏れ、トイレのドアが12時間以上開閉しない場合の安否確認のほか、通信端末による外出時の緊急通報にも対応します。また、孤独感や不安感を和らげるための24時間対応のコールセンターの利用も大きな特長です。
当社は、東日本大震災の被災地支援活動を通じて、被災された方の一時的な生活基盤となる避難所を、いち早く安全で安心な空間にすることが被災地の早期復旧・復興のためにも不可欠であるとの考えから、「避難所運営のための手引き」を冊子としてまとめ、防災の日となる2012年9月1日から無償配布を行っています。
本手引きは、避難所の開設から、その運営組織の全体像(施設管理班/救護班/衛生班など)、避難所の助け合いなどの各役割の運用の流れ、水の調達やトイレの使用、さらに避難者の名簿やボランティア受付表など、避難所の運営に関わることをわかりやすくまとめ、災害発生後の混乱の中でも、最低限災害発生後の混乱の中でも、最低限の対応が迅速に行われることを目的として作成されています。当社では、被災地での復旧・復興の支援活動を通じた経験・教訓を広く皆様に活用していただきたいとの考えから、無償での提供を決定いたしました。
社員ボランティア活動の様子 寄贈した楽器の一部 ALSOK Vivace(ビバーチェ)は、イタリア語の軽快・快活から命名し、社会貢献活動の一環として1985年11月に発足した、当社女性社員によるマーチングバンドです。
発足以来、全国各地のさまざまなイベントやセレモニーで、パレードや演奏・演技を披露してきました。
ビバーチェは、東日本大震災の被災地慰問の一環として、2011年6月に岩手県釜石市立釜石東中学校や岩手県立高田高等学校、宮城県塩竈市立第三小学校、石巻市立万石浦(まんごくうら)小学校で、それぞれ演奏会を行いました。当日は、多くの子どもたちの声援を受けて、約20分間の演奏を披露しました。
また、演奏後には、ビバーチェが使用していたトランペットや譜面台を慰問先に寄贈いたしました。
社員ボランティア活動の様子 東日本大震災で、当社も沿岸地域の事業所が津波により浸水し、また、社員も住居を失うなどの大きな被害を受けました。憔悴した状況を肌で感じ、目の当たりにした社員から「我々も復興への力添えが少しでもできれば」という声が多くの社員の心を動かし、ボランティア活動への参加を総意として決定しました。ボランティア活動は、2011年8月22日から10月21日までの2か月間、延べ204名が参加し、とくに甚大な被害を受けた岩手県釜石地域の「釜石市郷土資料館」や「釜石鉱山展示室」など、公共施設に納められていた貴重な展示品や資料の洗浄と整理を中心に取り組みました。この活動での最大の収穫は、社員一丸となってひとつの目的を達成する過程で確実に結束力が高まったことと、「人として何か大きく大切なものを得ることができた」という実感を得たことです。郷土資料館の館長からは、「見事にこの街が復興を遂げたときは、皆さんがその一翼を担ったということを思い出してください」とねぎらいと感謝の言葉をいただきました。